2011年12月 7日 (水)

2011年の紅葉

今年の紅葉の撮影は、とにかく天気に恵まれず連敗していた。

①11月9日 高山本線・・・雲の多い天気で列車通過時に陰るというパターンで負け。
②11月10日 高山本線・・・晴れる予報ではなかった為、断念。
③11月16日・17日 高山本線で再履修を予定していたが曇りの予報だったので断念して別の予定を入れるも、蓋を開けてみればド快晴・・・。
④11月30日 大井川鐵道・・・快晴だったので俯瞰撮影を試みるも気温・湿気が多く視界が悪かったため諦めて地上戦に転じるも、転じた瞬間に曇りはじめ負け。
⑤12月1日 大井川鐵道・・・雨の為、断念。

・・・とまぁ・・・こんな感じでほぼ毎週出撃するも、いい結果を得られずに居た。

そうこうしているうちに高山本線に関してはすでに落葉し、結局今年は結果を残すことは出来なかった。

この次の休みは12月7日・8日。

静岡県の大井川鐵道は12月中旬まで見頃なのでまだ間に合うのだが、7日・8日の予報は共に「曇り時々晴れ 降水確率30%」

そんな天気では④の二の舞を踏むだけ。

今年の秋の撮影は諦めかけていた・・・その時!!

モノのハズミで、12月5日に休みが変更になった。

5日の大井川鐵道周辺の予報は「晴れ時々曇り 降水確率0%」・・・これなら行ける!!

前日の仕事が長びき帰りが遅くなったが、翌日の「東京7:03発 ひかり461号」で出発。

品川出発後すぐ、はるか向こうに富士山が見て取れた。期待感が高まる!!

静岡で在来線に、金谷で大井川鐵道に乗り換え、撮影地に10時過ぎ頃到着。

お目当てのSLが通過するまでまだ時間があるので、悔いの残らないように気になるところは片っ端からロケハンしていくことにした!!

「今日こそは絶対にモノにしてやる!!」

この日は湿度が高かった為少し霞んでおり、ずっと狙っている逆光俯瞰を撮影するにはやはり厳しい条件だったので、以前から気になっていた順光俯瞰を試みるもイマイチ・・・。

そうなれば地上戦に徹しよう。もう以前から決めていた場所に急行。

橋の上から大井川を入れつつ、逆光気味で撮影できるところ。紅葉を逆光で引き立たせ、うまくいけばSLの煙も逆光で光ってくれれば、良いアクセントになるのではないか・・・という計算。ただ・・・ここで煙を吐く確率は半々ぐらい。結果は・・・

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計算通り!!いい感じで可愛らしい煙を吐いてくれた。

また「大井川鐵道全通80周年記念」のヘッドマークもいいアクセントになってくれた。

木製の電柱に木製の枕木。その中をSLが旧型客車を牽引しているその姿は、滅多にみることが出来ない貴重な風景。「昭和」そのものを味わえて、本当に飽きることはない。

これだから大井川鐵道はやめられない!!

まだやり残していることがある!!「紅葉流し撮り」を行うために即場所移動。

これもずっと狙っていたもの。今まで曇りの日の露出が厳しい時にしかしていなかった流し撮り。しかし流すことによって「秋を疾走している」感が出る上に、今日は紅葉が日に当たっているので、コントラストがいい感じで出てくれそう!!結果は・・・

Img_0041

これもいい結果!!コントラストに関しても曇りの日とは比にならないぐらい綺麗で、その上、バランスよく紅葉を配置することが出来た。

もうおなかいっぱい・・・満足したので、これにて撤収することにした。

何とか2011年の紅葉の撮影は、ギリギリで間に合った。

これからは、本格的に冬を迎え「雪」の季節となる。

少しでも多くの撮影地に出向き、綺麗で、且つ迫力ある「冬の鉄道写真」を皆様にお見せ出来れば・・・と思っている。

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2011年11月24日 (木)

「やまぐち号」への挑戦~憧れの仁保地峠~

なかなかいい絵を頂けなくなった「やまぐち号」。

最終日の今日は今までの反省から、写真の中に煙をやや大きめに入れて爆煙で走行するSLの迫力を出してやろう!というもの。

その為には、最高レベルでSLに煙を吐いてもらう必要がある。

一番の爆煙スポットとして知られているのが、山口線の中でも難所として知られている仁保駅から篠目駅の間に立ちはだかる「仁保路峠」。

ここを最終日の決戦の場とした!!

駅間の途中までは急勾配が続き、その後は一気に下って行くという線形。

急勾配を登る時に最高レベルの「爆煙」になるという。

その仁保駅から篠目駅に向かう勾配の途中に「田代トンネル」というトンネルがあるらしく、そこが有名撮影地との事。

その田代トンネルまでのアクセスは・・・

「仁保駅から国道376号を徳地方面へ。井開田交差点で県道123号に入りしばらく進む。途中の「仁保病院」の案内に従い左折して病院の行き止まりまで進み、そこから線路に向かって山に入っていけば撮影地」

とあった。

仁保駅から路線バスが出ていることが分かっていたので、それで仁保病院まで向かい、山に入ろうと思っていた。

が!しかし!!

撮影当日、仁保駅前バス停の案内を見ると、仁保病院に行く路線がないことが分かってしまった・・・。急いで路線バスを運行している「防長バス」に問い合わせたところ「途中の井開田までしか行かない」との事。

なんですとぉぉぉ!!

まぁ今思えば・・・なんと前調べの浅かった事・・・。

とりあえず次に来るバスに乗り「井開田」まで行くことにした。てっきり「井開田」という停留所があるものだと思っており、「東井開田」を通り越したのだが・・・待てど暮らせど、バス車内のテープ音声のお姉さんが「次は井開田」と言わない・・・。

心配になってきた。このバスは今何処を走行しているのか??

携帯のGPS機能で現在地を検索しても・・・分からない。井開田は何処??通り過ぎたのか??「東井開田」で降りるべきだったのか??

バス乗車後20分。明らかに通り過ぎている。

相変わらず携帯のGPS機能で現在地を調べると、現在の走行地点から山口線が結構近くに走っている・・・ような地図が表示された。

「山口線の線路が見えたら途中下車しよう」と思っていたが・・・突然地図上から線路表示が消えて、その後は二度と表示されることはなく、バスはそのあと40分近く走行を続け、終点の「堀」というターミナルに到着した。運賃は1000円弱。なんという無駄な出費。

その「堀」がどこにあるのか、現在地は何処なのか全く分からない。携帯のGPS機能など今の自分には全く役に立たない。もうタクシーに頼るしか選択肢がなかった。

「やまぐち号」の仁保駅の通過時刻も迫ってきているというのに・・・またタクシーが走っていない!!急いで近くのお店に助けを求め、ご丁寧にタクシーを呼んでもらった。

タクシー乗車後30分程度で仁保病院に到着。料金は5000円弱。さすがに凹む。

もう「やまぐち号」の仁保駅通過まで時間がない!!

凹むのもそこそこに、山口線に向かって延びているであろう、病院の駐車場の奥から山に続く林道を進む。

「この道で合ってんのかなぁ~?」と疑いつつ進んでいくと・・・人の腰丈程ある雑草が生い茂っている広場に出た。この人を寄せ付けない感じ。しかし列車の走る音が近くに聞こえたので、線路が近くにあることは確か。しかし・・・かすかにこの先に道らしきものがあるものの入る勇気がなく、蜂も羽音を出して来ている為、この先は危険と判断し撤退。

駐車場まで戻って他のルートはないのかと探していると、SLの汽笛と客車の軽やかなジョイント音を残して「やまぐち号」が通過し、THE END。

もがくだけもがいて、2008年の挑戦は幕を下ろしたのであった。

病院の駐車場で「ガックリ・・・」していると、さっきの「やまぐち号」を撮影していた愛好家たちが下山してきた。しかもさっき自分が入っていった林道ではない所から降りてきている。

そこか!!

もうこれ以上無駄な出費はしまいと、仁保病院から仁保駅まで歩いている途中に猛烈な夕立にあってしまい、消防団倉庫の軒下で雨宿りしていると、一台の軽トラックが止まり、運転していたおばちゃんが声を掛けてきた。事情をすべて話すと「仁保駅まで送るよ」と・・・。

「ありがとうございます」以外に言葉が見つからなかった。

「いつか必ずモノにしてやる」と再訪を誓い、山口を後にした。

・・・そして1年後の2009年夏。決戦当日。

朝から豪雨であった。新山口から初発で仁保駅に到着。列車を降りるとき運転士さんから「この先は規制がかかるほど雨が降っとるから撮影気を付けて」とお声を頂いた。

三脚を担いでいたので、自分が撮影者だと分かったのだろう。礼を言って仁保駅に予め呼んでいたタクシーに乗車し、仁保病院に到着。

この頃には雨脚も少し弱くなっていた。病院倉庫の軒下でカッパを着て・・・さぁ!!いざまいろうか!仁保路峠!!

去年、カメラマンが下山してきていた道から入山。

ぬかるむ薄暗い山道。変な動物の鳴き声も聞こえる。それに時々クモの巣に引っ掛かる。まだ誰も入山していない様子。あまりにも心細すぎる。しかし「引き返す」という選択肢はなかった。

どれほど歩いて来ただろうか。いきなり道が急勾配になって上からロープが吊るされている。「これが山口線の築堤か」と確信してロープを伝って登ると、いきなり線路が現れた!

ついに来た!!憧れの撮影地である。

軽く付近をロケハンして場所を決めてセッティングを済ませ待つこと2時間弱。

いつしか雨は止み、少し明るくなってきたことろで・・・奴が現れた。

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この日はC57形を先頭にC56形との重連運転の日。

2つの機関車から出る爆煙とドレインで最高に迫力のある絵に仕上がった。・・・というか、ここで撮影出来ていること自体幸せだった。

しかし、まだ別の場所で撮りたいイメージがあるのも事実。

「やまぐち号」の魅力が伝わる写真を、これからも撮影して行きたい。

2011年11月13日 (日)

「やまぐち号」への挑戦~出会い~

山口県は新山口(旧・小郡)から、広島県の日本海側に位置する益田を結ぶ山口線にSL列車「やまぐち号」が走り始めたのは、今から32年前の1979年の事。

当時の日本国有鉄道の「無煙化」によりSLによる定期列車が全廃されてから3年半後に運転が開始されており、今日、日本各地を走るJRのSL列車の先駆けとなった。

「やまぐち号」を牽引するのは、C57形蒸気機関車(C57-1)と、C56形蒸気機関車(C56-160)の2つの機関車。

基本的にはC57形で運転され、C57形の故障・検査時・短編成時はC56形で運転される。

私が「撮り鉄」となって、この「やまぐち号」の撮影に最初に訪れたのは2008年の夏。

九州から北海道まで、たくさんのSL列車がある中で「一番煙を吐く」と有名な「やまぐち号」に魅力を感じ、この年から山口線に通い始めた。

蒸気機関車の撮影でカギとなる「煙」。

我々愛好家の中では、猛烈に煙突から煙が出る事を「爆煙-バクエン」と言っている。

この山口線には、全国からこの「爆煙」を求めてファンが集う。

2008年夏。初戦。

新大阪から新幹線に乗り新山口へ。新山口からは山口線に乗って「宮野」という駅で降りて、歩くこと30分。煙を吐く姿が撮影出来て、且つアクセスも比較的手軽な有名ポイントへ到着。

この日はC56形による運転で、2両の客車を牽引してやって来るという。

このポイントには踏切がある為、列車が近づいて来ると当然警報機が鳴るので、列車の接近が分かるのだが、SL列車の場合は「シュボシュボシュボシュボシュボ・・・・・・・・ボォ~!!」とドラフト音や汽笛が警報機が鳴るずいぶん前から聞こえてくる。

我々愛好家は、その音が聞こえてくると、最後の構図・露出チェックを済ませ臨戦態勢に入り、撮影現場は程よい緊張感に包まれる。

ドラフト音が徐々に大きくなってきて初めて警報機が鳴る。

ここは少し高台にある撮影地。車体より先に、茂みの向こう側から、真っ黒な黒煙が線路伝いに近づいて来るのが最初に見えた。

そして「C56形」が黒煙を高らかと上げ、何とも言葉にし難い凛々しい姿を我々に披露する。

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黒い巨体を小刻みに左右に揺らし、黒煙を高らかと吐き上げながら驀進するC56形。

確かに「爆煙」。

その迫力に呆気にとられてしまい、レリーズポイントを忘れそうになってしまった。

いい絵を頂いて満足はするものの、その姿に完璧に惚れ込んでしまい、その後もいい写真を求めて「やまぐち号」を追いかけるも、煙の加減やら・・・天候やら・・・いや、それ以前に「単に機関車を撮った」的な写真になってしまったりで、なかなかいい絵は頂けなくなってしまった。

「単に煙が上がっている時にシャッターを切れば良い」というものでもないようで「ではどうすれば写真の中に迫力が得られるのか?」のプレビューを見続け、反省した。

・・・ある結論に至った。

「写真の中で機関車と煙を同じ比(大きさ)で撮ると失敗している」

要は「機関車」と「煙」を喧嘩させてしまっていたようであった・・・。

分かったら早速実行!!

以前から目を付けていた煙を最高レベルで吐き出す場所に陣取って一発やってやろう!!

明日は撮影最終日。ホテルにて一人作戦会議を行った。

「やまぐち号」への挑戦~憧れの仁保地峠~につづく・・・

2011年11月 1日 (火)

伊豆の風景

東京と伊豆急行線・伊豆急下田などを結ぶ特急「踊り子号」が運行を開始して、今年で30周年になり、またJR伊東から伊豆急下田へ延びる「伊豆急行」は今年で開業50周年。

2011年はそんな節目の年。

それを記念して、それぞれ1編成づつではあるが「踊り子号」は運行開始当時の車両装色に戻して、また「伊豆急行」は今は全廃されたが、開業当時に走っていた車両の装色で運転されているという。

なるほど。

しかし「どうせ記念イベントの臨時列車で土日祝だけしか走らないんだろう」と諦めかけていたが、なんと2列車とも定期列車と共同運用との事・・・。

すなわち、それは平日にも撮れることを意味する。

土日祝に休めない者にとって、これほどテンションの上がる情報はない!!

「何時かは絶対モノにしてやろう」と思った時には、すでに脳内撮影旅行を始めている自分がいた。

「踊り子号」とか「伊豆急行」と聞くと、やっぱり「海の近くを走る」というイメージが真っ先に浮かんだ。

それに今回は伊豆急行の車両もターゲットになるので、伊豆急行線内の海が見えるポイントで撮影することにした。

しかし、今回の撮影を成功させるには、仕事が休みの日にターゲットとなる編成が運用されていて、快晴であり、且つ上昇気流によってチリが舞い上がったり、湿気によって海が霞んだりしないような気温・湿度の日でなければならず、果てしなくハードルが高い。

伊豆急行の車両については、伊豆急のHPに編成の運用情報が載ってあるので、通過時間等の情報が容易に手に入るが、踊り子号の車両はそうは問屋が卸さない。公式には編成の運用情報など発表されておらず、8本ある編成が変則的なローテーションを組んで運用されており、この内の1本を狙うのだから「偶然」を狙うのは無謀。某掲示板の運用情報と常ににらめっこで、出撃のチャンスを伺う。

そして、10月7日。初戦。

この日は「踊り子号」がターゲット編成で運用されるかもしれないとの情報を入手したので馳せ参じるも、急に運用が差し替わったらしく通常編成で運転された上に、水平線が見えないぐらいに海が霞んでおり、初戦にしていきなりダブルパンチを喰らい撃沈。

10月26日。第二回戦。

まず気温については「この秋一番と冷え込み」と言っていたのでクリア。湿度も50%でクリア。もちろん快晴。しかも踊り子号の編成も伊豆急の編成も両方運用されているとの事・・・文句の言いようがないほど好条件なのに、こんな日に限って寝坊・・・。

必死の支度の末、何とか東京11時発の「スーパービュー踊り子号」に間に合い、12時45分頃、伊東に到着。伊東から撮影地までは路線バスで移動。13時30分頃に伊豆急行の車両が撮影地を通過するのだが、またまたこんな日に限って、路線バスの運ちゃんがノロノロ運転・・・。

急げぇぇぇぇぇ~!!

辛うじて通過5分前に撮影地に到着。

落ち着け・・・急いてセッティングしたら凡ミスして泣き寝入りするのは目に見えている。

設定を確認しつつセッティングを済ませ、露出・ピントを合わせ終わると同時に伊豆急行の車両が通過。

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車体の色と、海・空の色が見事にマッチ!!

これが伊豆急行の伝統色「ハワイアン・ブルー」である。

伊豆大島まで見えるという最高のロケーションで大満足!!

この後、無事に踊り子号もターゲット編成で通過した。

本来であればここで帰るつもりだったが、翌日も休みで天候もこのままという事で、本日は熱海で一泊して引き続き27日も撮影することにした。

10月27日。昨日と同じ気象条件は良好なのに、当たり前の如く寝坊。

今日は伊豆急行の編成を昨日とは違う場所で狙おうと考えていたが、某掲示板で踊り子号の運用情報を見ると、なんと今日も踊り子号のターゲット編成が午前中に伊豆急行線に乗り入れてくるとの事!!

呑気に寝坊などしている場合ではない!!

撮る場所は決めていたので、熱海始発の伊豆急下田行の各停で、撮影地に急行!!

セッティングを済ませ待つこと十数分。踊り子号が姿を現した。

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険しい地形に作られた小さな街に掛かる鉄橋を、最高のロケーションの元、短く汽笛を鳴らして、ターゲット編成による踊り子号が通過した。

白い車体に、側面には3本の緑のストライプ。国鉄時代の「踊り子号」と言えば、このカラーリングであった。当時としては画期的なカラーリングで人気を集め、利用客や沿線住民の目を楽しませたという。

この2枚の写真が撮れて、もう最高に満足だった。

折角こんなにいいロケーションなので「撮り鉄」はここまでにして、この後は「乗り鉄」として、伊豆急行の車内から伊豆の車窓を楽しむことにした。

伊豆急行線には「リゾート21」という車両が運行されており、普通列車にも関わらず先頭部と最後部が展望席となっており、もちろん普通列車なので、指定席券やグリーン席券なども必要なく、普通乗車券のみで利用出来る。幼少の頃に僅かながらワクワクして展望席に乗った記憶があったが、それから二十数年経ったこの日に乗っても、相変わらず展望席にワクワクしながら乗っている自分がいた。

伊豆急下田まで展望席を楽しんだ後は、踊り子号で東京へと帰路につき、茜色に染まった相模灘に浮かぶ大島を右手に、伊豆を後にした。

2011年10月12日 (水)

初秋の便り

2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた東日本の太平洋の海辺を走る線路。

今回訪れた茨城県の「ひたちなか海浜鉄道」も決してその例外ではなく、津波により甚大な被害を受けた。

「茨城はテレビではあまり言ってないけど、津波の被害は大きかった」と那珂湊駅前の食堂の女将さんも、小さな微笑みの中にも辛そうな表情を浮かべて話していた。

しかしそんな中、地元住民の熱望と関係者の必死の復旧作業で2011年7月23日に「ひたちなか海浜鉄道」は全線復旧を果たす。

そんな報わせにココロオドり、秋の作品作りを交えて、まだ蒸し暑さが残る9月下旬に浦安始発で茨城へと出撃した。

私が訪れた時は、ちょうど稲穂がいい色に染まり、あちこちで収穫作業が行われていた。

列車にカメラを向ければ、青空の元、線路沿いにグリーンのラインを作り列車にスポットライトを当てるというお天道様の粋な演出。

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そして、斜光気味になった頃、田圃をプチ俯瞰できる高台から撮影。

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順光写真も素敵だが、やはり逆行気味の方が田圃が引き立つ。

この素晴らしいロケーションの中、健気に走る単行の気動車。

被災地とは言えどもそれを一切感じさせない、確実に復興に向かっている光景を鉄道と共に撮影出来た事に、一鉄道ファン・一撮り鉄として嬉しさを覚えた。

『鉄道の復興は、街の復興への第一歩』

阪神大震災で、壊滅状態にあった三宮界隈の鉄道が復旧し始めた時に言われていた上記の文句を思い出した。

茨城の復興の大きな力となっている「ひたちなか海浜鉄道」を応援せずにはいられない。

秋の収穫が行われている中、私も「ひたちなか海浜鉄道」での収穫を終え、街の完全復興を祈りつつ帰路に就いた。

2011年10月 5日 (水)

有終の美(2)

銚子電鉄での「701号」と「801号」の撮影。

夕刻になるにつれ、雨と風は激しさを増す一方だった。

そんな中、外川発銚子行の「701号」最終列車の通過時刻が迫っていた。

「とりあえずカッコイイのが撮りたい」と、晴れの日であれば犬吠埼の海と畑を入れて撮影できるポイントへ来てみた。

畑は収穫後だったらしく土の茶色一色。もちろん海と空も灰色一色。強まる雨。時々吹き付ける強風。寒い。超悪条件・・・。

しかし唯一良かったのが障害物が何もなかったので、サイドから流し撮りで狙えそう。

これを逃したら二度と撮ることができない、リベンジ出来ない場面での流し撮り。

ハイリスクにも程があるが、残されている道はそれしかない。

最終列車通過直前にまた雨と風が強まり、そこに居た愛好家一同、身を竦める。

そして・・・

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雨の為、電車の屋根が光ってモノトーンの中にエッジが作られ良いアクセントとなった。

撮るのは大変だったが「雨の中の最終列車」・・・かっこいい演出じゃないか。

通常ではありえない数の乗客を乗せて、列車は銚子を目指して最後の疾走を見せた。

今日の電車があるのは、この電車があったから。

こんなにボロボロになるまで・・・60年間の活躍ご苦労さま。

そして、ありがとう。

君の最後の雄姿に乾杯!!

2011年9月15日 (木)

有終の美(1)

「昭和の名車がまた消える」

そんな報わせに居ても立っていられず、京都から一番の新幹線で千葉県は「銚子電鉄」を目指した。

大阪の自宅を出る時から悪天候だった。雨・風・雷が凄かった。新幹線に乗っていても窓ガラスに叩きつけるような強い雨。名古屋通過時には再び雷雨に・・・。銚子に着いても天気が回復することはなく、雨の上に海に近く風が強いせいか、少し肌寒い。

今日のターゲットは銚子電鉄「701号」と「801号」の2車両。

どちらも車齢60年の長老である。

この日、2010年9月23日がこの2車両の最終運行日。故に沿線はこんな天候にも関わらず、すごい数の愛好家で賑わっていた。

私もカッパを着用して早速参戦。予めインターネットで下調べしておいた場所で撮影を始める。

見ていると、2車両とも走っているのが「奇跡」と思えるぐらいボロボロ。

しかしそれは、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、長年に渡り走り抜けてきた勲章。

誇らしげに見えた。

そんな2車両が、途中の交換駅で顔を合わせた。

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最終運行日に悪天候にも関わらず、こんなにたくさんの愛好家に囲まれて、乗ってもらえて・・・撮ってもらえて・・・きっと幸せだったと思う。

そして、雨が降っているのに傘もささずに必死に交換シーンを撮影する愛好家。

明日の今頃にはもうない、このひと時のストーリーを目前に、私も傘を投げ捨て必死にシャッターを切った。

2011年7月21日 (木)

最果てのラッセル(2)

北海道滞在4日目。この日は雪の予報。それも強く降るとの事。「雪を蹴散らすラッセル車」と撮るチャンス!!

だが・・・前日に雪山からの俯瞰撮影を試みようとカンジキを履いてトライした時に汗をかいてしまったせいか、一日雪山にいたせいか、夜にホテルで寝ている時に冷えてしまったのか・・・あまり体調がよろしくない。

しかも今日は、道北から道東に移動する道すがらラッセル車を撮るという、比較的過密スケジュール。「体調がよくない」なんて言っている場合じゃない!!

気持ちを奮い立たせ、ルルを飲んで・・・稚内初発に乗り込み、撮影ポイントの最寄駅まで約2時間の列車の旅を楽しむ。

最寄駅に近づくにつれ、雪が降め、吹雪き始める。駅に着くと・・・ありえない降雪。この感じだと、撮影場所の感じからして望んでいる写真が撮れることは間違えなさそう。

しかし駅からポイントまでは徒歩1時間。さすがに体調を考慮すると気持ちが折れそうになる。しかしこんな好条件を目の前に、撮影中止などありえない。吹雪の中に身を投じる。

『視界ゼロ』とはまさにこのことで、何にも見えない。一面真っ白!!

ヒートテックを下着として着ていたので、歩くと暑い。また汗が出てきた!!やばい・・・。

猛吹雪の中、汗をかかないようにゆっくりと歩くこと、ジャスト1時間。

カンジキを装着して少し築堤を登れば、そこは以前に見つけていた、ラッセル車をアウトカーブから捉えられる最高の撮影地。

猛吹雪の中セッティングを済ませるも、通過までまだ2時間以上ある・・・。「同業者に場所を取られないように」と早めに来たが、悪天候過ぎて、同業者は結局一人も来なかった。

2時間・・・ひたすら吹雪に身をさらす。

特急・普通と、ラッセル車通過前に通り過ぎて行ったが、レールが埋もれる程のドカ雪にも関わらず定時通過・・・。

流石!!

そして・・・いよいよ・・・轟音をたてながら、ラッセル車が現れる。意外とスピードが出ていた。パウダースノーを身に纏わせながら『冬の神様』は短く電笛を鳴らし、通過していった。

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この一枚を得るのは、容易なことではなかった。

しかしこの出来を見ると、苦労など一瞬で吹き飛んだ。

出来に満足していたのも束の間。今から1時間10分後に来る普通列車に乗らなければ、この日のうちに道東に行くことが出来ない。

急いで撤収しようとするも、かじかんだ手で猛吹雪の中で片付けするのは一苦労。明らかに10分以上かかってしまった。

「汗をかかないように・・・」など言ってられず、足早に遠い駅を目指す。

やっとの思いで駅に着いたのは、列車到着の5分前。これ以上、体の様態が悪化しないように下着だけ着替えて列車に乗り込む。その後は旭川までひたすら爆睡。

それでもまだ体が重く、旭川で時間を作って、近くの薬局で「ストナ」を購入。

「ストナ」を飲んで、そして・・・「スーパーカムイ」の中でまた爆睡。

札幌で「スーパーおおぞら」に乗り換える頃には食欲も少し回復。

そして釧路に着いたのは、日付が変わる少し前。

『やりきった感』は大きかったが・・・この日の事は、一生忘れることはないだろう・・・。

2011年7月 7日 (木)

最果てのラッセル(1)

最近、老朽化で数を減らしつつある国鉄型のラッセル車。

『ラッセル車』とは豪雪地帯の路線にのみ配置され、線路に降り積もった雪を旅客列車が走れるように均していく、言わば「働く列車」。

その多くは、旅客列車が走らない深夜・早朝に不定期に運転され、撮影させていただける機会がない。

ただ、北海道北部の稚内~旭川間の「宗谷本線」を走るラッセル車は、昼に運転される上に定期運行されている。故に各地点の通過時刻等の情報が容易に手に入るので、低温・豪雪という酷な条件にも関わらず、全国からファンが集う。

私自身もこの「宗谷本線ラッセル撮影プロジェクト」は何度かトライしているが、毎回腕及ばず撃沈・・・。

・雪山バックのラッセル車。

・雪を蹴散らすラッセル車。

・雄大な北海道らしい風景の中を行くラッセル車。

・・・撮りたいカットを挙げればキリがないほど、イメージは湧いている。ただそれを形にするのは容易な事ではない。撮影ポイントまでのアプローチ方法を熟知した上で気象条件を味方にする必要があり、ハードルが高い。

2011年も長期休暇を貰って、リベンジに出撃した。

1月17日、前日まで日本海側の悪天候で3日間連続で運休していたトワイライトエクスプレスで大阪から北海道に向けて出発。

新津あたりまでは定時で運行されていたものの、やはり海が近くなればなるほど天候が荒れ始め、羽越本線ではついに最徐行運転。強風が吹く度に停止する有様。青函トンネルに入る頃にはすでに夜が明けており、札幌到着は3時間14分遅れ。

この日は宿舎を予約している稚内まで移動しなければならず、結局この日は撮影が出来なくなった。

翌1月19日、稚内初発で撮影ポイントへ向かう。駅を降りると一面、見事な樹氷。

俯瞰ポイントから撮ろうと片道徒歩40分・・・そこからカンジキを付けて山に入りアプローチを試みるが、如何せん初めての場所の上に雪深く、30分ぐらい彷徨うも場所がわからず、時間が無くなってきたので断念。

ダッシュで駅方向に戻り、この樹氷を活かせるように作図できる場所を探す。

そして・・・ラッセル車が登場。

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この『紅白』な感じが美しい。

一面の銀世界の中に、赤いラッセル車がよく映えている。

こんな写真が欲しくても撮れなかった。写真の腕云々よりも『運』がモノを言う。

前述したように、やはり気象条件が良くなければ、お話にならないのである。

ラッセル車はこの先の大きな駅で『昼休憩』で1時間近く停車する。その間に追い抜いて先回りして、もう1発。

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雪山バックのラッセル。

これも欲しかった絵の一つ。

この場所も以前から見つけていた場所。背景を見て迷いはなかった。

「例年に比べて積雪が少ない」と言われているが、この景色があり、その中でラッセル車も雪掻きをしている・・・私にとっては、これで十分である。

この宗谷地方にも何度も足を運んでいるが、やっと撮れた『ラッセル車らしい絵』。宿舎へ帰る列車の中で、何度もプレビューを見返して、本日の収穫の余韻を楽しんだ。

2011年6月19日 (日)

雪との戦い

冬の撮影で、絶対に欠かせない物・・・「雪」

私のイメージの中で「冬の鉄道」というのは「きれいな雪景色の中を走るイメージ」というのももちろんあるのだが、どちらかというと「吹雪の中、雪を蹴散らして疾走するイメージ」の方が強い。故に後者のような写真を求めて、毎年、豪雪地帯へ撮影に出掛ける。

「吹雪」を題材にしているぐらいなので、もちろん「吹雪の日」に出撃する。

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2011年1月中旬に北陸本線(福井県)のある山間部で撮影した一枚。

低気圧が来るというので、会社が休みだったこともあり前日に福井に入り、福井の初発でこの撮影ポイントを目指した。

前日に福井に入った時は強く雪が降っていたが、日付が変わるころに止んでしまった。携帯で撮影ポイント付近のアメダスのデータを見ても、積雪は全く増えていない。しかし天気予報は「雪」の予報。期待を胸に床に就く。

翌朝5時起床。時々雷が鳴る中、初発で撮影ポイントに乗り込むも、やはり雪は降っていない上に前日から全く積もっていない。空も明るくなって来て・・・「今日はダメか」と思っていた時だった。

突然不気味な色の雲が海の方から流れ込んで来たと思ったら、猛烈に吹雪き出した。水分を含んだ重たい雪が容赦なく吹き付ける。

願っていても、吹雪の中でじっと構えるのは、やはりどこか辛いものがある。

辛いが「よし!!来い!!もっと来い!!」・・・と心の中で叫ぶ。

吹雪きに耐えること数十分。

貨物列車が2灯の前照灯を輝かせ、顔に雪を付けて姿を現した。

「やばい。カッケ・・・・・・!!!」

午前8時前なのにこの暗さ。しかしこの暗さの中での吹雪だからこそ、冬の厳しさの伝わる一枚に仕上がっていると思っている。

この吹雪の中、貨物列車は定時通過。流石は「北国の鉄道」である。

撮影を終えて、出来に満足してプレビューを見ていると・・・

カメラの液晶部に水が入っているのを見つけてしまう。一応カメラには雪避けを付けていたのだが、あまりの猛吹雪だったので役に立たなかったようで、雪が入り込み、その雪が溶けて液晶部に入ってしまったらしい。

数日後には北海道への撮影旅行を控えていたので・・・最悪。

「カメラ潰れたら、撮影旅行に行けへんねんけどぉ~!!」また心の中で叫んだ。

急いでキャノンに持って行くと「乾かせば問題はない」との事だったので、数日にわたってドライヤーで頑張った。

結果、北海道旅行までには完治!!

あぁ・・・よかった・・・。

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